今日だけ生きる為のブログ

30代後半、フリーター、彼女いない歴=年齢 つまりはそういうことです すべての葛藤を抱えた30代に捧げる

余命半年から生きてます! 面白いほど不運な男の笑う闘病記

 

余命半年から生きてます!  面白いほど不運な男の笑う闘病記

余命半年から生きてます! 面白いほど不運な男の笑う闘病記

 

 

いつかに書店で見かけて買った本です。

 

著者の相河ラズさんは上咽頭がんを告知され、5年あまりの闘病後に余命半年と宣告されてしまいます。それだけでもしんどいうえに、奥さんが統合失調症で倒れ、記憶喪失になってしまいます。相河さんががんになったことも相当なストレスだった為かも知れません。

 

さらに、息子さんがひとりいらっしゃるのですが息子さんも軽度の障害を持っておられ、当時で高校生なのですがひとりでの生活は難しい状態。

 

そのようなあり得ないほどに「詰んだ」とも言える状況下で、明るく日々の闘病をつづったブログをもとにされた書籍です。語り口が軽妙で、とても末期にある方のものとは思えません。もちろん激しい恐怖や苦痛や葛藤があったことと思います。

 

そのことを連綿と綴ることもできたでしょうが、それをせず、末期がんにありながらもふたりの家族を養わなければならない、それにはどうすればいいかを考え、今できる活動や仕事に取り組んでいく模様が描かれています。

 

また、読んでいる方も結局そういう内容の方が元気づけられるし、勇気づけられるし、やっぱり読みたいものなのでしょう。僕もそうです。でももし僕が同じ状況になったら、、まずできない偉大な行為です。

 

ameblo.jp

 

こちらが元になったブログです。最初の半年分くらいは読んだ気がします。いま思えば闘病記では一番好きかもしれません。もっともそれほど多く読んでいるわけではありませんが。最後の更新からは4年以上です。少しずつ読み進めてすべての記事を読みたいです。

大場大のブログ "セカンドオピニオン"

masaruoba.hatenablog.com

 

メモ。

 

小林麻央さんが以前かかっていた医師が、勝手に麻央さんの病状をウェブ上に記載していたことを告発するといった内容です。はてブのトップにあったんで目にしたんですが、いままた読んでみたら初期アップ時から文面が変わっている気がする。小林麻央さんが非標準治療を受けていた旨の記載があった気がするのですがなくなっています。批判されたのでしょうか。その件は上記ブログで初めて知ったのですが。

 

個人的には非標準治療を受けられていたことについては支持しますし勇気づけられた思いです。

生きるという事 村瀬明道尼


生きるという事

 

村瀬明道尼という臨済宗の尼僧の説法です。

 

YouTubeやTEDなど動画で自己啓発的な内容が無料で見られるいい時代になりました。この動画はYouTubeからおすすめされて見たのがきっかけですが、その後繰り返し見ています。

 

生きるということは逆らわないことだとおっしゃいます。お腹が空いたら夜中でも食べる、汗かいたらお風呂に入る、など。この年齢の僧侶の方にお腹が空いても我慢しろ、ではなく「お腹が空いたら夜中でも食べろ」と言われるのは新鮮に感じました。

 

生まれてきた時はひとり、死ぬときも––だから誰に遠慮することもないと。若い時には「先」がある想定ですのでいったん遠慮しておいて将来回収しよう、という発想もできるのでしょうが、ある程度の年齢になったり病を得たりすればこのまま自分を後回しにし続けることはやっていられないとの考えは当然わくでしょう。

 

 ただ自分を出すにしても普段から練習していないとたとえ明日までの命となったところで、結果これまでの習慣のままいくのではないのかなと痛感しています。

 

村瀬明道尼は30代の頃に交通事故で右手右足が不自由になられたようです。この動画でも言われていますが常に痛みがあるようです。そんな体を抱えて長年生きてこられたのですから口調には厳しさもあります。またシニカルにも聞こえます。ただこのお話を聞くと不思議と気持ちが軽くなります。

33歳で肺がんになった関西サラリーマンの闘病記

ameblo.jp

 

急にこのような内容になります。健康な30代のみなさんでしたら自分がこの歳で大病を患うという発想はないかと思います。僕も別に2年くらい前まではなかったです。ですが美容目的で受けたある愚かな手術で、CTを胸に6回も受けたことがきっかけで、発がんを非常に心配するようになってしまいました。そして恐れていたことにここ3か月ほど咳が止まらないという状況です。

 

正直肺になにか異常があるのではという懸念があります。ですがCTの被爆でこうなったのではと思っているのに、もし考えすぎで再度CTを受け、仮に何事もなければさらに被爆を増やすだけの結果となってしまうためダブルバインド状態でどこにも動くことができないというのが現状です。

 

いまは検索だけは非常に充実していますんで調べていてこちらのブログを見させていただくことができました。最後の更新は7年ほど前です。人生のストーリーは誰が書いているんでしょうか? 神でしょうか? 方針を一度聞いてみたいものです。

 

この方は泣き言らしい泣き言も書かず、あくまで分析的に肺がん治療の模様を書かれている、30代の会社員の方です。といっても頻度は少なく、途中2年ほど空いていたりもします。最後の更新も悲壮感あるという内容ではありません。すべての記事合わせても5ページほどです。

 

治療法がないとおそらく医師に言われ、地元に戻って療養することにしました。その際に彼女さんと話し合って別れたようです。最もそうなった際はそうするということは予め決めていたようですが。どれほどの苦悩や葛藤があったことでしょうか? ですがくどくどと恨みつらみは書かれていません。末期がんの闘病記ではありますが、更新中はさほど拡散していないようでコメントも一桁です。

 

おそらく僕が闘病記を記したとしてもこうなるのではと思います。これが普通になにもバズらないまま生きてきた男の普通の生きざまじゃないのかなと思います。この方は泣き言を書き連ねることもできました。体調不良を訴えることもできました。彼女に対する未練を書くこともできたと思います。でもそのいずれもしていません。僕はこの方の闘病を支持するし尊敬します。日本人らしい普通の、30代で大病を患った人の生き方なのだと思います。

 

森田療法 (講談社現代新書) 岩井 寛 5

 

森田療法 (講談社現代新書)

森田療法 (講談社現代新書)

 

 

ブログが書ける日はまだしも前向きな気持ちになれた日です。最近特に数か月にわたって原因不明に体調が悪いこともあって気分が塞ぎがちです。

 

あるがまま

森田療法の根幹をなすこの言葉。常に念頭に置きたく、実践できれば人生を変えられるほどの影響力を持つ考え方だと思います。今日はバイトが休みでだらだらしていましたが午後に入って体調が悪く、痛みを和らげるために飲んでいますので解説は言葉足らずになる可能性もありますがご了承ください。

 

こちらの本には「あるがまま」が何度登場するかわかりません。紙の本で検索等なく該当の箇所を簡単に特定できないのはある意味逆に新鮮ですね。大学時代はこれが当たり前だった気がしますが。今でも何らかの書籍?論文?を書く人で引用したい人は紙をめくりながら目視で探すしかないのでしょうか?

 

「あるがまま」は単に日本語なので意味は普通に通ると思いますが、その本質とはなんでもかんでもそのままにしろという意味ではもちろんなく、(ある意味それでしたらみんなやっていることとも言えます)自分の目的、それも人間ならではの、より善く生きたい、ただの動物以上に高まりたいという目的に沿わない欲望–––怖さ、怠けたい、楽したい、後回しにしたい、etc、、–––を、「解消して」からではなく、それを「あるがまま」つまりほっとく、にして、人間として高まりたい欲求(それを本来の欲求とこの本では書いていたと思います)を達成できるような、「行動」を取っていくこと。

 

このような立ち回りを総称して「あるがまま」と呼称しているのが、森田療法のコアになる考え方だということです。

それが、著者が末期の転移がんに侵され、失明し耳が聞こえなくなり、下半身不随になりながらも口述筆記でこの本を完成させ、それから30年ほどもたって僕を勇気づけてくれている根本の原因、要因となっている訳です。なぜなら著者自身もこの本に記していますが患者の治療を森田療法で行うに伴って、森田療法の実践をだれよりも行うように自然になっていたからです。

 

おそらく日本人であれば自然に親しめる考えに則った理論であり、皆が仮に実践すれば社会が変わる可能性すらあります。しかし僕自身が今も再認識していますが、この本を読んでいながらも不安や実際の体調不良で痛みや不調に耐える真っただ中にいる状態では、「あるがまま」の考え方を思い出すことすらも難しいというのはあります。

 

繰り返し実践し習慣レベルにできれば、まったく違う人生の立ち回りを身に着けられる可能性を秘めていますが、その域に達するまでは楽器の練習よろしく数年にわたる地道な修練が必要なことでしょう。

 

 

森田療法 (講談社現代新書) 岩井 寛 4

簡単に2週間空いてしまいます。

 

生の欲望

人間が生きる為の欲望。フロイトでは人間のエネルギーと不安の根源を「性」に特化して求めていたのに対して、森田療法の考え方では生存の為の欲求といった意味で語られています。

 

これにはふたつの方向性があるとされ、ひとつは自分の命を守りたい、安全に生きたい欲望、楽したい、怠けたいっていうこちらに含まれる?のかも知れません。もうひとつは、人間に特有のもので、人としてより高まりたい、よりよく生きたいという欲望です。

 

ひとつめの生存本能にまつわる部分はわかり易いと思います。僕が普段忘れがちだと思ったのがふたつめの、よりよく生きたいという欲望。森田療法ではこちらを非常に重視します。僕にも確かにあるんですよ。よく考えたら。ただほぼ毎回楽したいという欲望に負けていますが。楽したい欲望をそのままに(なくしてからではなく)、高まりたい欲望にフォーカスしてそれにそった行動を取っていく、というのが森田療法の骨子になります。

 

「あるがまま」に関しては次回に。

森田療法 (講談社現代新書) 岩井 寛 3

この「森田療法」の本に書かれていた中で、僕なりに思うキーワードをいくつか挙げたいと思います。

 

  • あるがまま
  • 完全欲へのとらわれ
  • ヒポコンドリー性基調
  • 生の欲望

 

「あるがまま」に関しては森田療法の核になる言葉ですので最後に説明します。

 

完全欲へのとらわれ

対人恐怖症などの神経症(重度、軽度はともかく)に陥る人の特徴として、現実とかけ離れた極端に高い理想像を自分の中に設定し、それにこだわる「完全欲へのとらわれ」が多くみられるとのことです。この内容は表現を変えて繰り返し書かれています。

 

「自分は常に健康でいなければならない」「常に若くなければならない」「だれとでもいつでも気さくに話せなければならない」…例えばこういった極端な設定を自分に課す為、仮に少しでも誰かと気まずくなるなどすると一気に自己評価が下がり落ち込んでしまうのです。これには僕も非常に覚えがあり、普段自分の思考回路を気づかされるきっかけになりました。

 

ヒポコンドリー性基調

これは森田療法独自の用語なのか、聞きなれない言葉だと思います。

これはひとことで言うと、自分の健康、命などに対して人一倍心配するタイプの人といった意味です。これも僕に当てはまってます。以下本文を引用してみます。

「ヒポコンドリー性基調」は、「生の欲望」とともに、神経質(症)を形成するのになくてはならない要因である。このことをもう少し突っ込んで考えてみると、 人間は生まれながらにして、より健康でありたいし、よりよい人生を過ごしたいのである。したがって、その反対に、不健康であったり、自分がみじめな状態になるのを非常に恐れる。つまり、神経質者は、生まれつきこのような心配が強い人といえる。

 元々僕はこういった傾向があるのは自覚していて、年を重ねるごとに軽減していくかと思っていたんですが、実際には年を経るごとにこういった不安は強くなっている気がします。

 

内容細切れになりますが残りのキーワードに関してはまた次回に書きます。